大阪地方裁判所 昭和40年(レ)65号 判決 1965年7月14日
控訴人(原審被告) 仲川武司
右訴訟代理人弁護士 植木幹夫
被控訴人(原審原告) 新栄商事株式会社
右代表者代表取締役 武田栄一
右訴訟代理人弁護士 藤田幸一
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
よって、まず、本件手形が基本手形としての要件を具備するかどうかについて考察する。
本件約束手形の振出人欄に控訴人の商号並びに氏名である仲川商店、仲川武司の記名と仲川商店の印影が存することは、当事者間に争がないところ、被控訴人は、右判示のとおりの商号・氏名の記名と商号を表わす印影即ち捺印があるかぎり、これを以て手形要件である振出人の記名捺印が存すると認められると主張し、これに対し控訴人は、被控訴人主張の記名に仲川商店を表象する印影があっても、仲川武司の捺印がない以上手形法が要求する振出人の記名捺印があったとはいえない、と抗争しているので、先ず本件約束手形における振出人の記名捺印の存否、効力につき判断する。
手形法が手形要件としている振出人の署名に代わるべき記名捺印とは、勿論振出人が手形振出人欄に自己の氏名または商号を以て記名をなし、かつ自らが使用する印章を押捺することをいいこれを以て足りるわけであって、振出人の氏名の記名と氏名を刻んだ印章の押捺により、或はその使用にかかる商号の記名と商号を刻んだ印章の押捺により記名捺印をなすは勿論として両者を混合使用することによって(氏名を記名し、商号を刻んだ印章の押捺をする、等)記名捺印を完成することも可能であり、かつ、有効というべく、要するに振出人自らを表す名称(商号、氏名)の記名と自らが使用する印章の押捺があれば足りるものと解するのが相当である。
しかしながら、他面手形法が手形要件として記名捺印を要求している趣旨は、当該手形行為者が何人であるかを確認する方法を専らその者のなした記名捺印に求めようとすることにあるから、右の記名捺印があったとするには、記名捺印欄に単に記名といい、捺印といいうるものが存在するというだけでは足りず、これらが社会通念に照して、手形行為者が自らの意思並びに責任を表象する手形行為の完成として記名および捺印をなす意図のもとになされたものであることを確認できうる客観的条件の具備していることが必要であるというべきである。従って、手形面上の記名捺印欄に手形行為者の記名および捺印と目せられるものが存在していても、その記名捺印の位置や体裁その他手形面全体の状況を客観的に観察することにより、或は手形要件としての記名捺印であると認められうることもあり、或は反対に右の記名捺印であることを否定されることがありうるのであって、殊に捺印については、右の趣旨における正規の捺印とは別個に、手形行為者が手形行為を慎重にし、また作成手続を厳正にする等の観点から副次的に手形面に他の印章を押捺することも考えられないこともなく(例えば現実に作成した担当係員が認印を押捺したり、会社或は行政庁の文書であることを表象する趣旨で社印や庁印を押捺する、等)、これを以て手形要件である記名捺印の完成があったとみなすことは到底できない。要するに手形上の記載・捺印の状況を客観的総合的に観察したうえ、社会通念に照らし、手形要件としての記名捺印の存否を決するのが相当であると解する。
そこで本件につき考察してみると、本件約束手形である甲第一号証によれば、右手形には本判決末尾添付の約束手形写(ただし表面のみ)のとおりの記載が存することを認めることができ、これによると次の事実が明らかとなる。即ち
一、右約束手形の表面右下部分即ち振出人欄には横書きで三行にわたり各行毎にスタンプを以て
大阪市城東区古市北通五丁目六三
仲川商店
仲川武司
と記載され、その字体は各行毎には均一であるが、異行間においては住所の字体が最も小さく、次いで商店名が小さく、氏名の字体が一番大であって、商店名の各一字の字体は氏名のそれの約四分の一程度であること、
二、右三行のスタンプによる記載部分の中央よりやや左寄りには、角型の「仲川商店之印」なる印影が顕出されているが、このほか振出人には何らの印影の痕跡も存しないこと、
三、しかしながら、同じ振出欄の左下の部分には、収入印紙の貼付があり、同収入印紙に対する消印と認めうる、丸型の「仲川武司」なる印影が顕出せられ、またその左端に契印と認めうる、右と類似する丸型の印影の顕出がある(ただし、そのうちの半分「仲川」のみが顕著に存する)こと
四、本件手形には、以上一乃至三説示のほかには、振出欄に「仲川商店」、或は、「仲川武司」、または、これらに類似する名称を表象する印影の存在を全く止めていないこと、
そして、一般に、法人が代表者の名義を以て手形行為として記名捺印をなすに際しては、これを荘重なものとし、または、代表者個人でなく法人自体の振出手形であることを明確にする等の目的を以て、記名捺印個所に法人名および代表者の資格と名称を記名して、末尾に代表者の印章を押捺するほか、記名の中央附近に法人の印章を重ねて押捺し、また個人商店の経営者においてもこれと同様に手形を振り出すに際し、記名捺印個所に自己の氏名のほか肩書としてその使用にかかる商号をも併記し、末尾に自己の氏名を表象する印章を押捺するのは勿論、これに加えて右記名の中央附近に商号を刻んだ、やや大型の印章を重ねて押捺するのが通例であることは当裁判所に顕著な事実である。
以上に認定した諸事実をかれこれ勘案してみると、成程本件約束手形の振出人欄には控訴人の氏名および商号の記名がありかつその商号を表象する印影が存するわけであるけれども、その記名の体裁をみると、氏名の部分が記名の要部をなし、商号は氏名に対する附従物としての肩書的意義を止めるに過ぎないし、またその印影についてみても、その位置体裁は該記名の中央より左寄りに象徴的に顕出されているものと認められ、他面控訴人の氏名に対応する印影が振出欄内の他の部分に消印、または契印として通常の用法に従い存在しながら、右の記名の末尾には氏名を表象する印影その他何らの印影も存在していないのである。
かような振出欄全体の体裁や前記一般事例を併せ考えてみた場合、本件約束手形の振出人の記名は兎も角、その捺印の点については、前判示の控訴人の商号を表象した角型の印影の存在のみを以て、直ちにこれを手形行為をなす意思と責任の表象としての本来の捺印とはみなされず、それは単に振出行為、就中その記名捺印を厳正荘重化する趣旨に由来する附加物に過ぎないものというべきであり、結局その事由は別として右の振出人欄の末尾に相当の捺印があったことを認め得ない以上、いまだ手形要件としての振出人の記名捺印は完成していないものと解するのが相当である。(本件約束手形の振出人としては、振出人の記名の末尾に、振出人の氏名(仲川武司)を表象する印判を押捺することにより「捺印」を完了する意思であったものと推知することができる。)
よって、本件約束手形は、手形要件を欠如した無効の手形であるというべきであるから、右の約束手形の記載がすべて真正に作成せられたものであり、かつかような手形を被控訴人が所持しているとしても、これにより被控訴人が右手形上の権利を取得しうるものではない。
そうだとすると、被控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、右判示の点において既に失当であるから棄却するほかはなく、これに反し右の請求を認容した原判決は取消を免がれない。
よって民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大野千里 裁判官 戸根住夫 砂山一郎)